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zoom RSS 捨て猫になった少女

<<   作成日時 : 2008/01/24 22:03   >>

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“この作品はフィクションよ。実在の人物、団体、事件とかにはいっさい関係ないから勘違いしないでよねっ!”
  ―薄っぺらいツンデレ反応。しかもデレがない―

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 その少女は空が嫌いだった。
 青かったり赤かったり灰色だったり黒かったりする空が嫌いだった。
 表情を変える空の中でも特に、赤い空が嫌いだった。
 鮮やかな赤は、血の色を思い出させるからだった。
 
 雨も嫌いだった。
 一度振り出すと堰を切ったように落ちてくる水滴が、涙のように思えたからだった。
 悲しい思いをするのは自分だけでいいと思ったので、少女は空に泣かないで欲しいと願った。
 けれども願いは叶わず、空は無頓着に涙を流し続けた。

 少女にとって、空というものの印象は最悪に近いものである。
 それなのに。
 
 それでも少女は何故か、暇な時には空を見る。

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 猫毛の少女がいた。
 髪の色は赤みがかった黒、瞳の色は鋼のような灰色。
 肌は白く、腕は細く、出るべきところの起伏に乏しい体型。
 加えて背丈はまだこの頃は、低かった。

「キミはまるで捨て猫みたいだね」

 少女がただの痩せぎすで赤みがかった黒髪の猫毛だった頃、偶然出会った女性は言った。
 少女は少しむっとして「わたしはすてねこじゃない」と言った。
 少女には帰るべき場所も家もあり、何より猫じゃなかったので自分は捨て猫ではないと考えた。

 女性は「そうだね」とだけ言って、空を見上げた。
 少女は「そうだよ」と答えて、つられるように空を見上げた。

 冗談みたいに赤く染め上がった、綺麗な夕焼けの空だった。

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「猫は好き?」
 
 晴れ上がった空の下で、猫毛の少女にあんこが詰まった饅頭を差し出す女性。
 女性の髪は深い緑色で、瞳の色は青色で、胸には豊満な膨らみがあった。
 背丈の頃は5尺半弱、年の頃は20代前半。
 尖った長い耳と、白い肌が印象的な女性だった。

「ねこはすき」

 饅頭を受け取りながら、猫毛の少女は頷く。
 お腹が鳴る。数日何も食べていないのだった。

 女性は「そう」とだけ言って、猫毛の少女に饅頭を手渡した。
 少女は「うん」とだけ言って、受け取った饅頭を一口齧った。

 あまくて、しょっぱい味がした。

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「どうしたの」

 少女が寂しいと感じたとき、女性は時々現れた。女性が現れると、少女は少し寂しさが紛れる気がして嬉しく思うほどにはなっていた。

「なんでもないよ」

 女性は決して口数が多いわけでもなく、自分から進んで口を開くわけでもなかったが、少女にとっては唯一の話相手だった。少女は決して口数が多くなく、自分から進んで話しかけるタイプではなかったが、投げかけられた問いに答えることぐらいはできる。

 二人は、並んで空を見る。少しだけ離れた隣り合わせで座って、空を見上げている。
 ただ、それだけ。本当にそれだけの関係。

 女性は「それならいんだ」と言って、飽きることなく空を見上げている。
 少女は何も言い出すことはなく、黙って空を見上げている。

 空に浮かぶあの雲たちはどこから現れてどこへ行くのだろうと少し、考えたりもした。

/*/

「たぶん、ボクが思うにはね」

 寝ずに起きていた少女は、ただ空を見上げている。
 太陽がまだ昇らない、薄闇の中で女性は言った。「キミは捨て猫なんだよ」
 太陽がようやく昇り始めた薄明かりの中で、少女は目を真っ赤にして言う。「ちがう、わたしはすてねこじゃない」

「そうかな」

 いつもとは違って、女性は少女を肯定しなかった。代わりに、少女に疑問を投げかける。「ずっとひとりでいるのに?」
 少女は女性が自分を責めているように思ってむっとした。「ひとりじゃないもん。おとうさんがいるもん」

 太陽を背に受けて、女性が言う。「そんな人、どこにもいないみたいだけど?」
 少女は女性に食って掛かるように言う。「おうちにいるの! ……おとうさんはおうちにいるの」
 女性はため息をひとつ吐くと、優しく少女に言った。「お家にお帰り」
 少女は俯いたまま、女性に言った。「うん……」

/*/

 禁忌というものがある。
 人が人を殺すことを殺人といい、世間は人を殺した者を殺人者として扱う。人は人なくしては生きていけないものであるから、それを無視して人が人を殺してはいけない。故に殺人は禁じられ、殺人者は忌み嫌われる。
 禁忌を自ら冒す者がいる。
 少女はその日虐待のあまり死にかけており、その傷だらけの身体で少女は、自分が生きるために父を殺した。父を殺さなければ少女は父に殺されたかもしれない。だから少女は血に染まる腕で、必死に父を殺した。
 父には少女を殺す気がなかったのかもしれないが、少女には父が自分を殺したがっているように見えた。あるいは少女には父を殺さなくても生き残る道はあったのかもしれないが、殺してしまったものは仕方がない。
 人を殺すことが禁忌なのだから、そこへと至る経緯はどうでもいいものだ。殺意の有無は意味を持たず、自衛のためであろうが誰かを守るためであろうが、誰かを殺せばそれは等しく殺人とみなされる。
 生き残るために禁忌を冒した少女は代償として全てを失い、後はただ死に行くだけとなる。

/*/

「こんばんわ」

 その女性はいつだって気紛れに現れた。どこからともなく。何の前触れもなしに。
 光が射さない闇の中から現れた姿は、まるで死を告げる天使のよう。

「だから言ったじゃない。キミは捨て猫だって」

 少女はひどく弱っており、答えを口に出すだけの体力は残っていなかった。だから代わりに弱く頭を横に振った。
 頭を振ったのはなんとなくだ。
 父を殺した時点、あるいは殺そうと思った瞬間までは何を考えていたのか覚えている。とにかく父を殺そう、それだけだった。それが今は頭に靄がかかっているような感覚がある。殺意で満たされていた心は疲労感と倦怠感と虚無感に苛まれ、自分へと投げかけられた言葉さえどこか他人事に聞こえる。
 少女は傷だらけだった。全身の至る所に打撲による痣があり、何箇所か骨が折れている。もはや動くこともままならず、冷たい土の上に身を横たえていた。もしかすると動こうと思えば動けるのかもしれないが、少女にはそう思うだけの気力もなかった。

「これでもキミは否定する? 親に捨てられ、親を殺し、それでもキミは違うと言える?」

 少女は口を開いて言葉を紡ごうとするが、出てくるものはかすれた息遣いだけだった。自分は以前どうやって言葉を発していたのかと首を傾げたくなってしまう。簡単な言葉のはずなのに声にならない、不思議な気分。
 返事がないことをどう思ったのか、女性は少女の胸部に足を乗せると踏みつけるように体重をかけた。少しの加減もなく。

「捨て猫――特に子猫はね、ひとりでは生きていけないんだ。
 おおよそ猫らしくない声でピーピー鳴くだけで、餌を取る能力も身を隠す能力もない」

 大人であれば折れた胸骨が内蔵を傷つけ絶命していただろう。
 少女は子供であったので、まだ骨が折れずに助かっていた。
 少女を踏みつける女性はサディスティックな笑みを浮かべ、心底愉しそうな表情を浮かべている。

「生きるということは何かを殺し続けるということだ。
 何かを殺し続けることでしか人は生きることができない。命を消費し続けなければ人は生きられない。
 けど人は、人間を殺すとお前は死ねと言う。キミは人を殺した。だから世間はキミに死ねと言う」

 ギリリと骨が軋む音がする。
 いくら子供の骨が柔軟であるとはいえ、栄養状態が良くない少女にはそろそろ限界だった。
 命の危機に瀕してようやく少女の心に感情が戻る。思考がクリアになると同時に訪れる絶望感。
 涙が出る。痛みとは別の回路から。

「捨て猫は自ら望んで捨て猫になるのだろうか?
 答えはノーだ。捨て猫だって、生まれた時は他の猫と同じように生きられると思っていたはずだからさ。
 何の不自由もなく何の疑問も持たずに成猫になり、やがては親猫になって死んでいきたかったはずなんだ」

 少女の涙を見て思うところがあったのか、女性は圧力を弱め、足を除けた。
 しゃがみ込んで少女の髪を掴み、数センチの距離で少女の眼を覗き込む。

「選ぶといい。
 このまま捨て猫として野垂れ死ぬか。今ここでボクに殺されるか。
 ゆっくり死ぬか、すぐに死ぬかの選択だけど」

 女性は睨みつけるように少女に迫り、それが少女には涙で滲んで大きな瞳に見える。
 全てを喰らい尽くすような瞳。野生動物よりもさらに獰猛な眼差し。人外の眼。
 少女は答える代わりに涙をぽろぽろと流し、精一杯首を横に振ろうと試みた。否定しようと試みた。

 怖かったからではない。悲しかったからではない。
 少女は生きるために禁忌を冒したのであって、死ぬために冒したわけではないからだ。
 
「早く答えなよ。どうでもいいじゃない、どうせ死ぬんだし」

 女性は髪を掴んだまま、強引に少女を持ち上げる。ぶちぶちと髪が千切れる音。抜ける音。
 少女は声にならない悲鳴を上げ、力の入らない拳で抵抗する。
 ――ちがう。わたしはしにたくない。しにたくないの。

「キミは確かにお父さんを殺した。そんなキミが生きたいと願うのかい?
 今となってはみんなが敵だ。元よりお父さんにすら疎んじられていたキミがどう生きる?
 何のために? 誰のために? どうやって?」

 女性は自分がしている行為に何の罪の意識も感じていないようだった。
 いたって真面目に少女を問いただし、いたって真面目に暴行を加える。
 女性にとって禁忌はひとつの価値観でしかなく、だから少女をどうしようが何の問題も生じ得ないのかもしれない。絶望的にこの女性は身勝手で、だからこそ世俗に流されずに自己を持っている。意味があろうとなかろうと、意義があろうとなかろうと、女性は人を殺すだろう。
 好奇心を満たすためだけに、人は人すらも殺し得る。

「言え。
 何のために生きて誰のために生きて、何を望んでどうやって死にたいのか。
 死にたくないなら、死ぬ気で叫べ!」

「ーーーっぁああっああああああああああああっっっ!!」

 少女はなけなしの気力を振り絞り、喉も裂けよと言わんばかりに叫んだ。
 それは単語になっていなかったが、言葉になっていなかったが、言語になっていなかったが。
 唯一の肉親を失った慟哭と、望まざる死を突きつけられた絶望と、無力な自分への怒りが混じった声だった。少女にとって精一杯の、わたしはまだ生きているぞという叫びだった。

「ははっ! わかってるじゃないか」

 女性の姿をした死神は天使のような微笑みを浮かべる。虫も殺さないような笑顔で、流れるように少女を地面に叩き伏せた。
 少女が唯一取り戻せたものは声だった。思い出したものは感情だった。
 ぐしゃり、と。全てを台無しにする音が、少女から全てを奪い去る。
 夜明けは、訪れなかった。


/*/

「……という内容の、夢を見ました」

 久織えにるは空を見ている。
 ほとんど変化のない空を見上げて何が楽しいのかは不明だが、えにるには暇があると空を見上げる癖がある。

「ひどい話だね」

 えにるの傍らで、王猫パーカーを抱えたフィーブルが同じく空を見上げて言う。

「ええ。ひどい話ですね」

 えにるは空を見上げたまま、他人事のように言う。
 どうしようもなく追いつめられた少女と、その少女を助けもせずにいた女性の話。
 おそらくは誰かの手を借りれば少女はそこまで追いつめられていなかっただろうし、最悪でも女性が助けていれば少女は救われていただろう。仮定の段階で論じるならば、日常的にどこにでもあるありふれた話。

「その話に救いはあるの?」

 フィーブルは、歳が近い自分と少女を重ねて言った。
 精一杯もがいて足掻いて、行き着く先に救いはあったのだろうかと。

「どうでしょう。
 あったのかもしれませんし、なかったのかもしれません」

 えにるはフィーブルの方を振り返り、言う。
 赤みがかった銀の髪を揺らし、鋼のような灰色の瞳で語る。 

「どうしようもない話だったことは確かです。少女に味方は誰ひとりとしていなかった。
 どうしようもないほど独りぼっちで、どうにもならないほど弱かった。
 だからこそ誰かがいれば。
 陛下のように心優しい人が側にいれば、少女は救われていたのかもしれません」

 えにるは軽く微笑み、フィーブルの頭に手を乗せた。髪を軽く撫でる仕草。
 少し照れくさい気分になりながら、フィーブルは口を開く。「ぼくにもできることはあるかな」

「たとえ側にいなくても、味方をしてくれる誰かがいる。それだけで救われる人はいるんじゃないでしょうか。
 もしかすると同じ境遇の子供がいて、それが第2、第3の少女なのかもしれない。
 でも陛下が民の声を聞き民のために政治をする限り、きっと多くは救われるはずです」

 「そうか」フィーブルの表情が華やいだ。「そうだよね」
 フィーブルは抱えていたパーカーを下ろすと、今にも走り出しそうな様子で言った。「ぼく、ちょっと散歩に行ってくる!」

「はい。足下には気をつけてくださいねー」

 小さくなる背中を見送りながら、えにるは考える。さてさて、あの様子だと夕刻までに帰ってくるかどうか。
 もし遅くなったら、代わりに書類を仕上げておこう。

「少し、よいか」

 声。
 んー、と伸びをしたところで、えにるは動きを止めた。
 パーカーがえにるを見上げ、言う。「結局、その女性は何がしたかったのだ?」
 えにるは少し考えた後、答える。「殺したかったんじゃないですか」

「ふむ」

 パーカーは猫ながらに頷く仕草を見せると「それは違うだろう?」と言いたげな表情で笑った。

「捨て猫というのは親に捨てられたから捨て猫だ。自分から親を殺して捨て猫になるなど聞いたことはない。
 子猫が自ら親猫を殺したならそれは野良猫だが、親を殺した野良猫など聞いたこともない。
 餌を取る能力も身を隠す能力もない子猫が、親猫を殺せるはずがないからな」

 ここから先は個人的意見だが、と前置きした上でパーカーは続ける。

「その女性の狙いは他にあり、例えば少女が生きるよう仕向けることだったとする。
 親を殺し世間を敵に回した子だ、誰も手を差し伸べはしないだろう。
 少女にとっては事故のような殺人だ、少女には父を殺すだけの理由はなかったともとれる。子猫がひとりで生きていくには獲物を仕留める牙と爪が要るが、人がひとりで生きていくには理由が要る。
 となると女性の狙いは少女に理由を与えることだった。こう考えることも不可能ではない」

 パーカーは空を見上げた。変化のない空を見上げて何が楽しいのかパーカーにはよくわからなかったが、気付くとえにるが空を見ていたのでつられるようにパーカーも空を見た。 
 青い空。白い雲。代わり映えのしないフィーブルの空。
 しばらく眺め続けても何が楽しいのか結局わからなかったので、パーカーは最後の疑問を口にする。

「その少女は死んだのか?」

 えにるは長い間空を見上げた後、口を開いた。

「さあ、どうでしょうね」

/*/

 星のない夜。
 虐待を受けて飛び出してきた少女は、どこに行くでもなくただ座り込んで震えている。
 もう、自分に帰る場所などないのだと悲しい気分になっていた少女に、女性は言った。

「キミは捨て猫みたいだね」

 少女は視線を少し上げ、女性が自分の知らない大人であったので怖くなって膝の間に顔を埋めた。見たくないものは見なければなかったことになると思い込んでいるかのように。
 女性はその反応をどう思ったのか少女の側にしゃがみ込み、髪を優しく撫でながら言う。

「ボクにはこれしかできないけれど。いつかキミに幸せが来るといいなと願ってるよ」

 髪を撫でられながら、少女は久しぶりに感じる人の暖かみを噛みしめていた。暴力を振るう父は怖かったが、それでも優しい顔をすることがあったことを思い出す。夜が明ければ、また父のあの優しい顔を見ることができるのだろうか。
 寂しさが消え、眠気が少女の身体を包み込んでいく。

「きっとね。
 いつか戦うことになる。いや、戦うことしかできないんだ。
 そのときどういう決断をするのか、少しだけ興味があるよ」

 女性が呟いた言葉を少女は聞くことができなかった。
 猛烈に押し寄せる眠気。人の温もりに抱かれ、少女はゆっくりと眠りについていく。
 夜明けまではまだまだ遠かったが、それは確かに星のない夜の出来事だった。


  (文:久織えにる)

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