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zoom RSS 終わりの終わり、始まりの始まり

<<   作成日時 : 2008/09/30 21:47   >>

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 今日も何でもない日々が過ぎていく。変わらない世界。変わらない風景。
 だが、それは誰かから聞いたものであっても、何でも決めているのは自らの心なのだ。認識なのだ。

 だから、こうだ。
 今日はコンティニューの日だ。




 今フィーブル藩国が…いや、正確には私がだが、一番頭を悩ませてる問題は国民についてだ。
 暴徒が暴れまわって、第7世界人撲滅キャンペーンをやっているのも問題と言えば問題だが、実は事態はもっと込み入っている。それを説明するには、この国のある意味を考えなければならない。

 何故ここがフィーブル藩国なのか。
 今でこそ、それはオアシスの名前に因んだものだと言われているが、正確には全く違う。
 この国は、フィーブルの心を目指す者と、フィーブルの心を持つ者が、そこに集まったから、フィーブル藩国なのだ。
 そういう意味で、この国は普通の国とは大きく異なる。

 ガンプの心を持たぬ者が、ガンプで無い様に。
 フィーブルの心を持たぬ者は、フィーブル国民ではない。

 ガンプが集えば、そこがガンプの国である様に。
 フィーブルが集ったら、そこはフィーブル藩国なのだ。

 つまり、フィーブル藩国は文字通り滅びたのだ。スフィアの心が折れた瞬間に。
 あの瞬間までフィーブル王城が、もっとしぼれば王室だけが、フィーブル藩国だった。

 第7世界人撲滅などという考えに乗る者には、欠片もフィーブル藩国民を名乗る資格は無いし、それを黙認する者にもその資格は無い。
 そう言う時に、王の心を案じ、世界に対してそれは違うと声高らかに歌う者が集っていたから、ここはフィーブル藩国だったのだ。
 そう、設定国民ができた瞬間に、ここはフィーブル藩国だった国になっていたのだ。

***


 荒れ果てた街を見る。
 もう、ここにフィーブルの理想は無い。

 私は身内に厳しい。
 助けの声を上げる力も無く、悪に立ち向かう力も無い者など国民とは認めない。

 私は自国の設定国民を護ってやるべき者だとは思っていない。
 何故なら、ここはフィーブルクランだから。
 私は唯の代表に過ぎず、その力を束ねる為に居るのであって、カイザーではないのだから。

 もし、私に王としての職務を果たせというのなら、それは例え国民の人数が一桁になっても、自分以外残らなくても、フィーブル足りえないものを全て殲滅する事、それこそがそうだ。
 この船を爆破する事などには別に抵抗も無い。せいぜい頭をよぎるのは、その後のイカズチの心配くらいだ。

 この国を捨てて行った者達を無責任と思わないでもない。
 私の国を散々荒らして、そして放り出して行ったのだから。
 だが、幾ら私でも彼らの努力を思いはするし、それすらも許容することがスフィアの戦いだったのだから、誰にも攻める事はできないだろう。…居るかどうかも分からない本人達のファンを除いて。

***


 ただ、自由の為に!と叫んで自分のやりたい様にやる奴は、表向き正義の味方に見えたとしても、その実、それは自らの快楽の為に殺人を重ねる者と何の違いも無い。
 それは紛い物。自由と平等を与えますと言う頭の悪い政治家の妄言と同じ。

 自由を誰もが手にし、真の意味での調和を築くのに必要なのは『思いやり』だ。
 誰もが自由で居られる世界というのは、誰もが人を思いやり、自省をできる世界と同義なのだ。

 ≪勇者≫という言葉の解釈は色々ある。
 この国でいうそれは非常に形容しがたい概念だ。
 だが、これについて一つの答えを提示したい。

 ≪勇者≫とは、自らの自由を行使すべき行為が、そのまま思いやりである存在の事なのだと。

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