T15と私。提出作品/「悔恨に遠く、思い出に早く」へぽGS

残念ながら、T15における私は、公共事業やイベント、政策と言った活動が無く、故あって戦争イベントにも出撃していない。(最後のはまぁ不幸な事故のようなもので、個人としては些事であるが)

藩国作業としては、新規アイドレスでかねてより懸案であった「新素材の開発」に着手し、自身が発案、発端となった「高性能光ファイバー」を、苦難の末に完成させた。
しかし、先進他国の「新素材」と比較して、高い効果を得られるモノとなったかは、残念ながらNOだ。
特に、派生先に「ニート」や「引篭もり」と言った、悪影響を及ぼすと思われるイグドラシルが表示されているのには、悔恨を抱かずにはいられない。

ゲーム内ゲームであるキミプロにも参加したが、アイドレスへの影響は出来る限り考えなかった。
私は、純粋にキミプロを攻略し、そのシステムを打倒する為に、情熱を燃やした。それは有意義なゲームであったが、アイドレスと直接関連したプレイではない。

T15の思い出を考える度、私は、アイドレスを満足にプレイできていなかったと実感している。

昨今、芝村氏の、質疑掲示板における質疑応答が、ワールドシミュレータに影響を与えていると言う発言も、この実感をより強くしている。

アイドレスは、リアクションが薄い。
どのような行動が、どのような結果をもたらすか、それ以前に、どのような入力が、行動として認められ、ゲームからのリアクションを生むのか、と言ったレベルで、アイドレスは不明瞭なゲームだ。
熟練したプレイヤーは、質疑や経験、情報収集を元に、手探りで不明瞭な中を進み続けている。その手探りすら、アイドレスは行動入力として扱っている。

有意な行動が出来ず、そもそも、行動入力を行った事すら稀であるT15の私は、プレイヤーだったのか、観客だったのかすら怪しい。

だが逆に言えば、T15は、それまで漠然としていた、行動入力(プレイ)の概念を明確な形で私に与えた。行動入力者(プレイヤー)としての条件を私に突きつけた。自身の不足を、確かな実感として私に痛感させたのだ。

それが活かせるかどうかは、今後のプレイ次第であるのだが。
しかし、生来の負けず嫌いである私は、T15を苦い思い出で終わらせる事を良しとしていないのも事実だ。
思い出の価値を決めるのは、ゲームが終わった後で、プレイヤーを辞めた後でいいだろう。

T15を思い出にするには、まだ早い。